亡き父へ
今まで本当にありがとう。
あなたの息子で幸せでした。
私は今、父が子供が生まれてお父さんとなった年齢と同じ26歳。
いつも遊びに連れて行ってくれて、子煩悩でしたね。休日は釣りやカラオケ、ドライブなど・・・中でもキャッチボールをしたことが記憶に残っています。
小学生の時、いじめられていた私を助けてくたのはお父さんでした。学校まで来てくれて、助けてくれましたね。本当に頼りがいがあって、温かくて、優しい人でしたね。
あなたの存在が大きく見えました。
しかし、中学に入り、反抗期に入ってからまともに口を利かなくなりました。話す時は、いつも取っ組み合いの喧嘩。
中学2年生になると大人よりも体格がよくなり、誰も止められなくなったいた。
でも私が道を踏み外したときはいつも全力で怒ってくれましたね。
喧嘩で相手の生徒の前歯を折り、首を締めあげて、先生が3人がかりで止めるくらい、大暴れをしたとき、学校に呼び出され、全力で怒ってくれた時は、胸が熱くなりました。
そして高校生になると、食事の時も顔を合わさなくなり、丁度、単身赴任となり話すこともなくなりましたね。
私が、進路で困ったとき、せっかく戻ってこれたのに大喧嘩になりました。
母親が家を飛び出すくらい。お父さんは心配してくれていたんだよね。それに気が付けず、ひどいことをしてごめんなさい。
それから、私は、18歳で一人暮らしを始めた。初めて世間の厳しさを味わった。悔しくて暴れたこともあった。でも支えてくれた温かい人もたくさんいた。
そして21歳の時、大学へ進学をした。
はじめの一歩が宿泊研修だった。周りは18歳のクソガキばかり。あまりにも幼稚でビックリだった。私は、3年生になるまで一言も誰とも口を利かなかった。
時が流れ、私25歳、正社員として社会人となっていた。
ある日、兄から1本の電話が入った。
父が急死したという内容だった。
会社に連絡し、私は、7年ぶりに地元に帰った。病院に着くと、ベットで冷たくなっている父と泣き崩れる母の姿があった。
私は私がいない7年間の話を兄から聞くと、泣き崩れた。
兄だってつらいはずなのに、ずっと私を慰めてくれた。
父は、毎日、私の心配をしていたようだ。一日たりとも心配しなかった日はなかったそうだ。
優しいけど不器用な人。口に出すことは少なかった。
私はある決意をした。
立派な奴にならなくても、胸張って生きていけるような人になろうと思った。汚いことだけはしない。
人は,歳をとらないとわからないことがある。
よく、年寄りの悪口を言う人がいるが、それも私たちが歳をとらないと彼らの気持ちはわからない。
でも、人の気持ちを考えられることは本当に素敵なことだと思う。